緑色の島

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ただいま帰ってまいりました~。




一週間のご無沙汰でした。
今日の、最終便で帰ってまいりました。

13日に羽田から乗り継ぎで小松空港へ、そこからバスで金沢まで。
金沢には5泊、それから神奈川に2泊の旅となりました。

加賀百万石の城下町というだけあり、伝統文化、産業の町、としての香りがぷんぷん。
道行く人々も、どこかしら高貴な感じが・・・な~んて、お話をしてみると親切で人なつっこい感じの方ばかり。
北陸なまりがなんともかわいらしくて、「もっといっぱいしゃべって~」って言いたくなるくらい。^^

なんといっても、日本海の新鮮な魚介類がたくさん並んだ市場は、活気に満ち溢れウキウキわくわく。
カニももちろん、たっくさん並んでいました。
お店で注文して、ちょっとだけ頂きました。
もうちょっと寒くなると、身が詰まった美味しいカニが出回るそう。

今回金沢には、所用で訪れたのですが時間が許す限り少しずつ観光もしました。

その中でも是非行って見たかった場所が、八丈島への流人第一号、宇喜田秀家ゆかりの地
宇喜田秀家夫人豪姫の菩提寺「大蓮寺」。
そこには、大木の間に秀家の八丈島墳墓、豪姫の野田山墳墓をそれぞれ摸した記念碑として
二つの墓地がひっそりと並んで建っていた。

(現在、秀家の墓地は八丈島稲葉墓地、豪姫の墓地は金沢市野田山墓地である。)

豪姫は、加賀藩初代藩主前田利家公と正室お松の方の四女として生まれた。
生後間もなく戦国武将、豊臣秀吉と正室寧々の幼女となる。
秀吉の厚い信頼を得ていた秀家はやがて豪姫と結ばれ、二男二女をもうける。
 秀家は、慶長五年(1600年)天下分け目の合戦「関が原」で豊臣家の恩義に報いるため西陣に加わるが
家康率いる東軍に敗れ、慶長十一年二人の男子、秀高、秀継と共に八丈島へ流刑となる。
 豪姫は、関が原の合戦後、二人の娘、節、時を伴い、兄利長を頼って金沢に移り住み余生を送った。
遠い八丈島に住む秀家と息子二人の事を思いながら、どのような気持で暮らした事だろう。
 豪姫は、秀家と息子二人にとうとう会えぬまま、寛永十一年(1634年)金沢城鶴の丸で数奇な運命を閉じる。

このような歴史を私達は学校や、ドラマの中、あらゆる文献から少しだけ頭に入れてはいた。
しかし、こうして実際にゆかりの地を踏むと、遠い昔の戦国の時代の人々の悲しみ、苦しみ
人間として生まれ持った気高さ、気品、日本人としての律儀さ、我慢強さ、おおらかさ
美しいもの、より高いものを求める探究心、言葉では言い尽くせないものが甦ってくるような感じがした。
そして、人と人が戦うことの残酷さ、馬鹿らしさ、どれ程悲しい人々を生み出してきた事だろうという事を
感じた。

今、「美しい国」というような言葉で日本を変えようとしている。
しかし、言葉だけでは無い、見せ掛けだけでは無い、本当に大切なものは何か
日本人として胸を張れる国にするにはどうしたらよいのか、一人一人が意識していかなければならない
時代がきていると思う。
日本の素晴らしいところを再評価し、日本の出来る事を再確認する・・・。

と、ととと、また、話がぶっ飛んじゃったよ~!^^
話がまとまってない・・・、すみません。

そう、この旅で、日本のこと考えちゃったって事は確かです。
結局、こういう事を考えてしまうんですよね。
日本を見直そう!と思ってしまうんですよ。

長くなりましたので、今日はこの辺で終わります。
最後まで読んでくださりありがとうございます。

では、また。
by mintogreen | 2006-11-20 23:05 |